2009年10月14日水曜日

建長寺 食のあり方

精進料理でも庶民に慣れ親しまれているけんちん汁。

その発祥の建長寺は、鎌倉五山の第一位の禅寺で鎌倉を代表するお寺です。

建長寺は、鎌倉時代に立てられた代表的な禅寺であるとともに、日本最初の禅を専門に修行する道場でもありました。

座禅は禅の「静の修行」としてよく知られていますが、「動の修行」として農作業、炊事煮炊き、薪集め薪割り、掃除、庭園の除草、托鉢時のわらじづくり、などほぼ自給自足が修行の暮らしを支えていて、無我無心に行うことで悟りを求めているといいます。

私はそんな暮らしぶりを「建長寺と鎌倉の精進料理」という本を読んだ時に、修行僧の暮らしぶりの美しさと豊かさに心を打たれました。

なかでも、食事をいただく時に唱えるお経の意味は考えさせられました。

「食事が食卓にのぼるまでに多くの人々が苦労したことを忘れません。
 いただく食物にふさわしいだけの得を積めたかどうか自問してみます。
 食事に対し、不平を言わず、欲望を抑えます。
 食事を良薬として頂きます。
 修行して人間を完成させるために今、この食物をいただきます。」

   五観之偈

   一つには功の多少を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。
   二つには己が徳行(とくぎょう)の全欠を忖(はか)つて供(く)に応(おう)ず。
   三つには心を防ぎ過貪等(とがとんとう)を離るるを宗(しゅう)とす。
   四つには正に良薬をこととすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。
   五つには道業(どうぎょう)が成ぜんが為に、応(まさ)に此の食(じき)を受くべし。

〜建長寺と鎌倉の精進料理〜

当たり前の様に食べている1日に3度の食事。

それはかけがえのない出来事の繰り返しだと言うこと。
私達がお食事をいただくまでに、手間かけて野菜を育ててくれる生産者や運んでくれる運送業者さんや料理を作ってくれた人、沢山の人を介していること。
その人達の労力に感謝して、食べることで野菜の命(力)をいただいていて、その犠牲の上で私達は元気いただいていること。

私は自分で食べている物を自分で作っていません。
生産者の人に対して、安全かどうかを気にするけれど、感謝したことはほとんどありません。
それを傷がつかない様に注意深く運んでくれる苦労も知りません。
良い材料を選ぶ販売店の方のことは忘れています。
外食しても、料理を作っている人の顔さえ知らない方が多いです。

昔の日本人は作物を育てたり狩りをしたりする人も多く、もっと身近だったことでしょう。
今でこそ、地産地消という言葉がいわれる様になりましたが、それは当たり前の出来事で、食べる人は身近で育てたり食材を調達する苦労を身に染みて知っていた。
だから、食べる時にそんな想いを馳せてみたいと思いました。

お食事をいただく時にこの事を振り返ると感謝の気持ちと美味しいという気持ちが深く感じられる、そんな魔法の様な言葉が五観之偈というお経だと思います。

「いただきます」という言葉は「命をいただきます」という意味だということを聞いたことがあります。
「ご馳走様」という言葉は、漢字の意味を捉えるとあちこち走り回って食材を集めてくださってありがとうございます。という意味を友人から教えてもらいました。

この2つの言葉は五観之偈と同じ想いから生まれているんだ、という事に気づきました。
このお経を唱えるのは難しくても、2つの言葉を声に出していうとき、お経の意味を思い出してみようと思いました。 



      − お知らせ −

来年2010年の1/23(土)ここ、建長寺で「かまくら 菜食シンポジウム」を開催することになりました。
建長寺の高井宗務総長にも禅と食についてお話しいただくことになっています。
精進料理という菜食文化を通じて、食への感謝の気持ちを伝えられるイベントになると良いな〜、と思っています。

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